サン=テグジュペリ「星の王子さま」(1943)
2016/07/09
サン=テグジュペリ「星の王子さま」は、砂漠に不時着したパイロットと少年の対話を中心とした絵物語である。語り手は、大人の世界と目に見えない世界について語る。大人の世界とは、彼によれば、政治やネクタイの話をする場所で、幸福を求めて、外の世界を効率的に移動しまわり、権力やお酒やお金やルーティンを繰り返すことにとりつかれた人々で、子供からみるとばかばかしいようなことで忙しく、不機嫌になり、喜びを失った人々のことだと言う。
語り手は、砂漠で星の王子さまに出会う。彼は、すぐに一周できる小さな星に住んでいたが、ひとつの花と別れ、傷つき、旅に出て、いくつかの星を巡ったあと、地球に来たのだった。ヒツジの絵を描くように語り手にせがみ、二人は対話をする。やがて、星の王子さまと花の出会いと別れ、地球にやってくるまでの回想物語が語られ、王子が語り手と別れる地球での場面を最後に、最初の地点に戻ってくる。二人は、目に見えない世界について語り、読者を含めて三者でそれを共有する。
この星は、四つに分けることで全体を捉えることが出来る。北と南と東と西である。火と水と土と風である。心理的には、思考と感情と感覚と直観である。人間の種類としては、男と女に分けた上で、更に、父と母と息子と娘の四つに分けることが出来る。父と母と男と女でもいい。創造した男と産んだ女とこれから創造する男とこれから産む女でもいい。いかようにも分けることが出来るが、分けすぎるとわからなくなるので、これくらいにしておこう。
物語、イメージというものは、夢と同じものである。「星の王子さま」をサン=テグジュペリの夢として見ることが出来る。そして、その夢は、彼個人を超えたために、普遍性を獲得し、わたしたちの集団意識を補償するものを指し示している。内なる世界に現れた少年は、花である女に出会い、その美しさによって喜び、トゲによって傷つき、別れに至ったことを語る。放浪の末、少年は、キツネに出会い、智慧を得る。そして、心にも良い水を飲む。蛇によって母なる大地に返され、星空に還っていく。少年が塀の上に腰掛けて、足元の蛇と対話している場面がおそろしい。飛行機の高度を超えて、更に高く飛ぶためには、低い所にいる蛇によって咬まれなければならなかった。そして、わたしたちの生死の円環とはこのようなものかもしれないと感じさせる。この物語に母親と女をより具体に付け加えたい衝動に駆られる。砂漠の男と傷ついた少年に、わたしは、老女の智慧と海を泳ぐ人魚と喜びに満ち溢れた少女を加えたい。
いや、こんな風にイメージしよう。星の王子は成長してデヴィッドボウイになり、目に見えない世界に形を与え、数々の冒険をした後、ブラックスターになり、美しい王妃と共に、星空で煌めいているのだ。