梅原猛、中上健次「君は弥生人か縄文人か」(1984)
2024/08/13
梅原猛と中上健次の対談で構成する「君は弥生人か縄文人か」を読んだ。日本基底文化として、縄文と弥生の視点は、学ぶ所多かった。この本は絶版になっているのが惜しい、対談という形式は、その者が、何を前提としているのか、日常言語で放たれる為、執筆された本とは異なる旨みがあり、なおかつ梅原猛と中上健次という二人の霊が時空を飛翔して、平板な現実的時空間を超えてくれるおかげで、時を忘れる良い空間に入り込むことが出来た。山の神は、女神で、彼女は男根が大好きなので、山で問題が起きたときには、それを晒すといいのだと古くから言われている。古い祭りで、男根を担いで山に登るようなのは、そういう所に基づいている。しかし、農耕文明となってからは、「それはまずい」ということで、山の神は、男であるように変更されたのだと言う。何もまずいことのない真実でしかないとわたしは思うが。抑圧と神経症の個はいても、基本的に大好きなように出来ているのだから。歴史を知れば知るほど、わたしたちの心の深層に射程を伸ばしていくことが出来る。この書物に真剣に取り組んだことで、わたしはまた一歩進んだ。
狩猟採集と農耕、スサノオとアマテラス、発達系と人格系
発達障害、という枠組みがある時から流行して、自分に理解出来ない他者は全て「発達障害」ではないか、と安易にカテゴライズして自らの心の安定を図る態度も流行してきたのだが、人間を二つに分けたときに、人格系と発達系に分ける視点を提示した者があった。つまり、人格系とは、空気を読む系であり、発達系とは空気を読まない系であり、無意識との接触が強い。 日本人は、どうも社会的、民族的に、人格系が多いのだと思われる。これがある程度突出すると、人格障害とカテゴライズされる。同様に、発達系は、発達障害の枠に入れられる。ここに日本神話を当てはめると、人格系はアマテラス、発達系はスサノオとしてわたしは考えてきた。おそらく、日本においては、アマテラス的なものに偏っている為、そこから外れると、理解不能な他者、スサノオとして排除されがちに思われるのであった。障害者に関して、行政は、隔離政策を取ってきたと言える。次第に、それは社会的包摂への舵を切られ、現在は、社会で障害を持つ者を目にすることも増えてきた。これは良い傾向である。多様ということ、他者と出会うという機会が増えることこそ、民度が高まる唯一の道である。実際の他者との対話、読書における他者との出会い、これなくして人間の発展はない。梅原猛は、日本神話におけるアマテラスは、朝鮮から九州に入ってきた弥生人、稲作をもたらした農耕民族であり、おそらくスサノオは、熊野、新宮にいた縄文人ではないか、と語る。そして、その両者の戦いは、弥生人の勝利に終わり、大和朝廷が成る。そして、大阪の難波を中心の港として、出自である朝鮮半島と中国の動きを正確に把握し、外交を行っていた。朝鮮から人が来て、大和から朝鮮に人が行く。ある大学教授は、近畿人は、日本人ではないのだと言う。というのは、朝鮮人に近く、日本で狩猟採集を営んでいた縄文人とは全く異なる骨やDNAをしているというような意味のようであった。中上健次は、半年ほど韓国で過ごしたとき、あまりにも街が大阪に似ていると感じたとも言う。図式的、二項対立的把握をすると、
縄文人と弥生人
土着先住民と渡来農耕民
狩猟採集と農耕
山人・海人と里人
国つ神と天つ神
スサノオとアマテラス
熊野と京都
アイヌと古朝鮮
発達系と人格系
空気読まない系と空気読む系
縄文人の後裔、東北文化、アイヌ語
当然、混血となり、日本は、表の弥生的合理意識と裏の縄文的意識でやってきたのだと思われる。農耕文化は、土地を所有し始める。山人、海人にとっては、窮屈極まりない。インディアンが迫害されたのと同じことが起こった。しかし、当時の朝廷は、出自である朝鮮と中国の動きを正確に把握する一方、日本の地図を書けるほどになくて、おそらく近畿から上については、ほとんどわかっていない、関心がない状態だった。これが、縄文人の末裔である東北人、東北文化が残っていく結果となり、遠野物語のおしらさま、しし踊り(宮沢賢治が愛好したこの踊りの姿は、インディアンのカッチーナに酷似しているとわたしは思う)、青森のこけし、いたこ、その他、祭りなどは、縄文文化の名残であった。次第に、東北も中央集権に支配されていくことになるのだが、北海道に追われていったアイヌ人だけが、縄文人の後裔として、日本文化の基底を保存して近代まで生き残った。今の社会的な目で行けば、ホームレスであり、勝手に山で暮らしている人種である山人は、里人からすれば、今の社会人からすれば畏れられ、鬼として呼ばれるようになり、次第にその数は減って、霊的にあがめられるようになり、天狗として呼ばれるようになっていく。縄文文化において重要な木の神への信仰は、おしらさま、こけし、おひなさま、本来、海外では石製の仏像が、日本では木彫りとなっていくなど、かたちを変えながら、生きている。日本仏教が隆盛を極め、僧たちが山にこもり、わたしたちも、時々、山にこもりたいと願うのは、わたしたちの心の深層に縄文時代があると思うと、あまりにも理解がたやすい。朝廷から外れていた沖縄、東北、北海道に、縄文人の末裔たちが生き残っていたのだ。わたしは、東北の山に囲まれて暮らしたが、というより、山しかないのが東北なのだが、わたしは蛇を恐れる本能が強かった。何度も蛇を目にしてきたが、それ以上に、蛇が出てくるかもしれないという恐れが、わたしは今でも強く、それは夢に何度も現れもしたが、山人であった本能の記憶は、わたしの基底無意識に強力にこびりついているものなのだと思う。縄文土器が、画期的な発明として登場して以後は、彼らは、どんぐりを粉にした餅と食材をぶち込んだ鍋を主食とした。弥生人に至っては、米を食べるようになるが、窯が使われるようになるのは五世紀以後で、それまでは、おかゆか餅にして食べていたのだと言う。わたしたちの正月などは、心の深いレベルにある、慣れ親しんだ食べ物に返る、つまり先祖につながる意味を持っているものと思う。子供の頃、どんぐりを拾うのに夢中になったものだが、あの理由のわからない魅力は、わたしの中の縄文人が喜んでいたのだろう。縄文語は、外来の影響を受けて、現在の日本語となった一方、アイヌ人だけは、縄文語のままであり、アイヌ語は、日本民族の土着の言葉を保存している。そして、朝鮮系は、語頭のRを発音できないため、
ramat → たま(魂)
ramachi → たましい
となっていく。漢字導入前の日本語の音には、縄文文化が基底としてある。「カ」は上という意味をあらわすことが多く、上(カミ)、髪(カミ)、特には、神カミは、アイヌ語のカムイが語源であると言う。アイヌ語をある程度、勉強して身につける意欲が湧いてくる。鎌倉時代まで蝦夷と呼ばれていた東北出身の詩人は強烈なものがあり、梅原猛は、特に宮沢賢治と太宰をあげているが、その特徴は、「創造力と現実がごっちゃになったような感じで、東北人がイメージ力を発揮すると皆が酔っぱらって、集団的な麻酔にかかってしまう」ようだと述べる。太宰は、青森のイタコにつながる語り口調で、賢治は、アイヌのイオマンテを逆さにしたような作品も書いていて天才的で、現代でも、宮沢賢治を理解出来るまでに日本人は成長していないと語る。青森と岩手の混血、生粋の東北人として言わせてもらえば、イメージとは実在する舞台であって、それは魂レベル、霊的なレベル、現在では、精神という言い方しかないが、翼が生えているレベルでモノを視るということに尽きる。ただ、自分自身が、山になり鳥にさえなれば、それは、深層意識を開き、己が開いたレベルは、たちまち他者に波及していく。それは、催眠と呼ばれるかもしれない。しかし、そのような狭いものではないとわたしは思っている。わたくしごとで恐縮だが、新作短編「前田龍のはなし」が、これまでになく皆さんから傑作との評価を頂いて、どうしてなのか理由を考えてみるのだが、書いている途中で、机の上で、眠ってしまったときに夢を視たのだが、それが、作品全体に影響を与えたのではないか、と思う。それは、恐ろしいイメージを語る男が、イタコのような痙攣に襲われる夢だったとだけ書いておく。あまりにもわたしは縄文人なのだと、今回、この対談を読んで、新しい視点が開けてきた。淀川を通り、四天王寺まで出て、熊野詣出をした後白河や後鳥羽の気持ちがわかった。わたしたちの山には、わたしたちの心の基底には、精神という言葉から漏れてしまった霊、この星の神秘に触れる時間があったのだろう。