キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

意識

フランクル「夜と霧」(1947)人に生きる力を与えるもう一つの世界への通路

フランクル:「夜と霧」の著者。精神科医、強制収容所体験から光を綴る。

人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて人生に問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない。

「あなたには、あなたのことを待っている誰かが、どこかにいませんか。あるいは、あなたによって実現することが待たれている何かが、ありはしないでしょうか。たとえば、やり残している仕事、あなたがいなければ実現されることのない何かがあるのではないですか。よく探してみてください。あなたを必要としている誰かがいるはずです。あなたを必要としている何かがあるはずです」
「この人生から、あなたは何をすることを求められているのでしょうか。この人生であなたに与えられている意味、使命は何でしょうか。あなたのことを必要としている誰か、あなたのことを必要としている何かが、この世界にあるはずです。その誰かや何かに目を向けましょう。その誰かや何かのために、あなたにできることには何があるでしょうか」

「自分の欲望や願望中心の生き方」から「人生の呼びかけに応えていく生き方」「意味と使命中心の生き方」への転換。

三つの価値
創造価値 自らの仕事に最善を尽くす価値
体験価値 自然や他者とのつながり、体験の価値(夕陽の美しさ、他者との深い繋がり、愛)
態度価値 強制収容所にあっても態度は奪われない。(祈り、思いやり、精神的態度の自由)

「精神的に高い生活をしていた感受性の豊かな人間」は苦悩に満ちた収容所生活によっても精神が破壊されなかった。
「なぜならば、彼らにとっては、恐ろしい周囲の世界から、精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである」

過酷な状況にあっても人に生きる力を与えたものは、肉体の頑強さでも、世渡りのうまさでもなく、「精神性の高さ、豊かさ」であった。なぜなら、どんな状況にあっても、それに支配され押しつぶされてしまうことなく、内面的な精神の自由さと豊かさという「もう一つの世界」への通路が開かれていたからである。

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