キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

意識

意識拡大の虹(自他の区別と自他一体の円環)

2016/07/08

コトバの塔01

 

【目次】
  1. 自他区別意識と縁起意識
  2. 反動による同一視の危険と祭りによる補償
  3. 西洋的意識と東洋的意識の補完関係
  4. 意識拡大の虹
  5. 現代社会のスリーステップ
  6. 非個人的存在と世界創造

1自他区別意識と縁起意識

ある人のおもわせぶりな態度が、自分に関係のあることとして感じられるとしよう。それは、妄想であり、空想的である為、自他の境界を設けることが重要とされている。(例えば、職場での恋愛感情)それは、日常を維持するのに妄想が異物となる為、自他の境界を重要視し、塞ぐ傾向であるが、時には妄想自体が、真実を映し出しているかもしれない。しかし、真実を持つのは重い。意識という傷つきやすいものを守るために、無意識を締め出す、自他の区別をつける、これは無意識を問題としない日常的地平を重要視している自我心理学の視点。(自を意識とし、他を無意識としている内的な構造が、外側にも投影されている)繰り返しになるが、相手がある行動に出たのが、こちらに対してエネルギーを出していると感じる、勘違いかもしれないがあてつけに感じる、しかし表層のアリバイがあるわけだし、きっと勘違いで、自分とは関係のないことで、相手の行動は自分に対する何の一手でもない、責任を持った個人の行動である、という見方は、自我の世界から見たものだ。では、深層意識から見れば、相互に影響を与え合い、相手の一手は、自分と関係した一手として見えてくる。(わが国では、伝統的には、このような空気や間を見ることに長けている。又、その短所も顕著である)あるいは、同時に生起しているように見える。縁りて起こる(縁起)、共時性。

2反動による同一視の危険と祭りによる補償

日常生活を送るには、自他の区別の線を基本とするが、やりすぎると反動が起こり、とんでもない同一視が発生する。(炎上する)現在はほとんど存在しないような本物の祭りが、合法的に意識水準を下げる場として機能し、自他の区別を一時的に破壊し、解放を与えていたとしたら、現代では、自然との戯れ(広義では全てこれに当てはまる)、インターネット、男女の強烈な一体感である恋愛、人々を繋げる笑い・座談、求心性の強いグループ活動、偶然との戯れ、アルコール、音楽、ダンス、絵画、物語の創造・体験・鑑賞、ヨガや瞑想、その他、個人によって行われる祝祭の数々を所属文化、社会で許容される範囲で行うことによって補償する。

3西洋的意識と東洋的意識の補完関係

わたしの感情はわたしのもので、わたしの思考がわたしのもので、他者の言動に引っ張られるということを遮断する方向性、自他の区別をつける、自我優位の態度は西洋的である。(因果律、イデオロギー、キリスト教、科学発祥の区別原理)一方、虫であれ、太陽であれ、あなたであれ、わたしであれ、深い部分でつながっており、存在がわたしをし、あなたをしているという体感、これは深層に開かれる見方で、没我的で、東洋的である。(縁起、共時性、コスモロジー、仏教、自然との調和)どちらも一長一短で、双方の影で、補完的と言える。自他の区別の線だけでいくと、反動が大きくなり、母なる海や線路(大地)に吸い込まれてしまうかもしれない。没我は、何もかもが曖昧になり、個を生きることを難しくし、見えない空気が人々を縛りつけるかもしれない。ある文化や個人に偏りがあるならば、その補償が、何らかの形で現れてくるが、意識的に主張するときは、相反する概念の片一方を強調しがちであるが、時間軸で見ると、あとで二律背反のもう片一方を無意識に行っていることが多いように思われる。

4意識拡大の虹

幼児的無意識があり、合理意識への訓練があり、その自他を区別する意識と同一視の揺れがあり補償がある、文化的に要請される意識の型があり(文化そのものが揺れることもあり)、自我意識から無意識への接触が可能な段階があり、(人は眠り、夢を見、覚醒するのを繰り返していく)それが連続し、切断し、進行・退行する。そこに深度と揺れがあり(個人差と環境の影響があり)、意識が固定する石化の危険を潜り抜けて、破壊と創造が行われるリニューアルプロセスが成り、それは拡大していく。(意識水準の操作可能な段階では、普遍的意識へのアクセスが容易になり、合理を超えた意識を所持、集合意識に付け加え、世界を更新していく。例えば芸術家や詩人)

5現代社会のスリーステップ

現代社会で暮らすということは、自他の区別をつけて人と繋がるのが適応的であり、(間に挟まれるのは主に言葉や物である)これがファーストステップ、その上で、適宜、文化的に身体を解放し、一体感を得る祝祭を個人か集団で行うことで、補償する。これがセカンドステップ。(自然との親密な関係が維持されている地域では不要だろう)これによって、自他の区別をつけすぎる反動による炎上、大きな災難を避けることができる。例えば、精神(自)と身体(他)の分裂に起因する病、心身症、ストレス性疾患、疎外された個人の危険な反動(例えば、線路に吸い込まれるのは、その本質は、生を自とし、死を他としすぎた反動で、母なるものに吸い込まれる)集団的排他、人種差別、戦争、区別原理の極みである核の脅威。セカンドステップで充分だが、個人差や文化差があり、ステップ内にも無数の虹と森があって迷いは尽きず、ファーストステップのみを先鋭化し、個人の無意識の反動にセカンドステップをやらせている危険な時代傾向が観察され、(本物の祭りのような、文化的に埋め込まれたセカンドステップの装置が科学という一神教崇拝によって無知にも外され)この矛盾と葛藤の世界では、多くの穴が空き、ままならないが、サードステップとして、一元の世界から二元の世界に生まれ落ちたにも関わらず、深い内的体験を基礎として、敵と味方、わたしとあなたの線ないところに立ち、あるいは、その二分を内在化し、人々の間を歩む、非個人的境地にある存在が想定できる。(自を犠牲にして他を救うというような段階ではなく、より深い自をセンターとして、自を生きることが即、他に浸透していく。高次の自他一体)非個人的な意思を持って活動し、より醒め、より深く眠り、現在の文化を超越した意識を持ち、形骸化した文化に新たな風を吹き込み、人間の意識を深化させていく道に、生命が使役される。

6非個人的存在と世界創造

歴史を見る限り、一時的、部分的、流動的にサードステップにある群と、全体の為に全存在が使役されたように見える群があり、ほとんど信じがたいが、我々の深い意識の中には、そうした理想とも言える元型が存在することは経験的に妥当で、それは実現可能性を持っている。先人達の足跡自体が、それかもしれない。人類の歴史の中で、かつて存在し、肉体が消滅してなお、生きている高次の存在。(死者の意識は
積み重ねられ、我々はそれを貴重なものとして保存していく、それどころか身近な死者の存在が我々を日々温めている)根源的同一の中に戻っていき、かつ非個人的に生きている、現存する我々よりもはるかに醒め、より深く眠っており、今では、あなたとわたしの線のないところで、図書館や美術館、神社や寺に。先祖が守った土地に、受け継がれた我々の血の中に。ということは、人類が生存し続ける限り、全ての死者は生き続けていき、それも増加し続け、人類の意識の増加・拡大、進化そのものを体現していく、青い星にとってこの活動が何を意味するのかはわからないが、死者は決定的に重要な役割を担っており、我々の何気ない生活、些細な日常の積み重ねが、我々の生と死が、世界創造の一部を担っているのは確実である。

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