太陽と地球とわたし
2016/07/09
地球内は、一体である。太陽の光がなければ、地球という星は暗黒であり、区別不可能な混沌である。太陽の光が射し込む時間、物は形を取り、束の間、区別が生じる。地球内は一体であるため、そこには本質的な関係はない。そこにあるのは、同一化だけである。自他の区別こそ淡い夢である。太陽と地球が関係しているのは間違いない。太陽は地球内にない、そして直視不可能であるため、同一化不能である。
人間の灯りは現時点で、光とは比べ物にならない小さなものである。それは全てを明確に照らすには小さすぎ、持続力にも欠ける。それは太陽の光には及ばず、主観に留まる。曼荼羅や伝統的宗教が表現する全体性の輪、円、球体は、太陽や月から直観を得たかもしれない。しかし、この大地が、球体であることを映像で見ることが不可能であった時代に、円による全体性、球体を自己として想定したのは、驚くべきことである。この地球は、たしかに、円であり、球体であり、それは全体性を現す図と一致する。太陽は一つしかない。
人間が太陽を持っていると錯覚すると、それはただ一つの正しい見解、光を持ったと勘違いしてしまう。太陽は頭上にある。太陽は常に光を射す側である。常に見る側である。人間の目に対して、それはあまりに絶対的で巨大である。地球内のものは、重力によって一つに包含されている。そのため、人間同士は、常に引き合い、同一化しようとする傾向が備わっている。他人を見ていても、自分を投影して、鏡にしてしまうが、投影を引き戻せば、全ては自分である、ワンにたどり着く。引き合うことにゆだねるのも、自分を失わないように相手を否定するのも、全ては一体から生じた多の普遍現象である。微生物がどのような方向と角度にはねようとも、身動きしないにしても、地球内は一体である。この不思議に打たれているのが良い。太陽の光だけが全てを照らすことが可能である。人間一人に、客観は、巨大すぎて持つことが不可能である。太陽と大地に祈った先祖たち、太陽と地球に祈るということは、あまりにも理に適った行為に思えてならない。