チャップリン「街の灯」(1931)形式と慣習を破り、笑と涙を創造する道化。現代人の昼と夜の分裂を滑稽に描く。
2024/08/13
チャップリン「街の灯」(1931)が封切られたとき、チャップリンの隣には、アインシュタインが座っていたそうです。それも納得のクオリティ。わたしは映画の喜びに打たれて、画面の前でおもいっきり笑って、最後には号泣する、しあわせな時間を過ごしました。こころを潤してくれる、スーパーな映画に、わたしは参りました。
わたしは、初めて、チャップリンの映画を観たのだけれど、あまりに巨大な星に驚いています。まず、初めからして、面白い。平和の式典で、お偉いさんが、何かスピーチをしているんだけれど、これが、無声にしていてもいいのに、何を言っているのかわからない加工された声がぴーちく言っている感じで、つい、げらげら笑ってしまう。式典は進み、立派な像のお披露目となって、ベールが取られると、女神の上で、チャップリンは、だらしなく寝転がっている。あくびをしているくらいのリラックスモードで、これぞ、まさに平和の象徴であり、形式と慣習に絡めとられた式典なんかよりも、本物の平和を感じてしまう。実際にも、女神の手の中に寝転がっている姿が、そのまま、象徴的ですばらしい。
次には、戦士の剣がズボンに刺さったり、戦士の顔にチャップリンのお尻が乗ったりして、ばかばかしいんだが、これが面白い。こんな風に進んでいって、ドリフとかダチョウ倶楽部とかリアクション芸人とか言われる人たちの、先祖にあたる芸なんだけれども、それが、全然深みが違う感じになっていて、どこか違うかと言うと、大体のリアクション芸人は、お笑いの為のアクションなのだけれど、チャップリンの場合は、洞察がユーモアに比例するというような方程式をあてはめたくなるような深みがあって、洞察の結果がユーモアとなっていて、笑わせるためにへんなことをする、というのを超えている部分が多々あり、しっかりとした骨を感じます。それなので、表層の滑稽と深層の洞察が同時に押し寄せてくるため、倍音となり、それは、深みをもっているようです。わたしが知っているお笑い芸人が、表層的にそのまま真似ている芸がたくさん出てくるのですが、チャップリンにあっては、ひとつひとつに洞察がおかしみを生むというプロセスが感じ取られて、喜劇王というカテゴリーでは呼べないほどの、大きな才能をわたしは感じました。彼には、それがあるので、いくらでも作品を量産できるのだと感じます。
お金持ちが、海に飛び込もうとしている場面に、この道化は出くわすのですが、助けようとする者こそが海に落ちてしまい、それを助けようとするお金持ちは、さっきまで飛び込もうとしていたのに、靴を脱いだり、色々準備があって、助けるのに時間がかかるところも、人間をよく洞察しているのだなあ、と感じさせます。それからこのお金持ちと道化は仲良くなりますが、お金持ちは、酔いがさめると、別人になって、チャップリンをはねつけます。そして、お酒を飲むと、また仲良くなります。こんな風なところは、本当に、現代人一般が、分裂してしまっている生活を送りがちなことへの洞察から来ているのだと思います。わたしなども、会社の飲み会などで、大いに盛り上がった後、翌日は、飲み会は無かったものとして扱わなければならないような雰囲気の所で働いたことがあります。こういう分裂は、まったく良くありませんし、心に良くなく、滑稽です。そういうことを、面白く描いてしまう。チャップリンは、トリックスターであり、時々、救世主の像に近くなります。人々が熱狂するのも、よくわかります。素晴らしいです。
目の見えない女性と知り合って、恋心を抱き、チャップリンは働くようになりますが、彼女が家賃が払えず、追い出されるかもしれない、という状況で、チャップリンは、ボクシングの賭け試合に出ます。このリングが、まったくもって滑稽で素晴らしく、見どころになっているのがすごいです。ラウンドの区切りを知らせる鐘を自分で鳴らしてしまうところなど、お腹が痛いほどに笑わせられます。そして、鐘が鳴ると、対戦相手も、自分のコーナーへ帰ろうとします。ルールに盲目的に従う人間の姿が映し出される滑稽、ルールそのものがルールでしかないと知り尽くしているところに立っている道化の創造性、しまいには、鐘のひもが、チャップリンの首に巻き付いてしまって、動くたびに、鐘が鳴りまくったりする。おかしすぎて、今、こうして書きながら、笑ってしまいます。試合開始後の、審判の後ろに隠れて、奇襲的に、パンチを当てるところも、すごくおかしい。音楽も自分で創っているそうですが、あの緊迫的なリズムがおかしい。面白い。
おかしいところ満載なのですが、人間が、場面に弱く、すぐに誤解をしてしまうことが、映画を観ているわたしたちにはわかる形で進み、道化は、お金を盲目の彼女に渡すことに成功しますが、彼自身は、つかまってしまいます。そうして月日が進み、ぼろぼろの服で、出所してきた道化は、街に花屋を出して幸せそうにしている彼女を見つけます。彼のお金で目の手術をして、今は、幸せな暮らしをしています。道化は喜びます。彼女は彼を貧しいホームレスと思い、花をプレゼントし、小銭を渡そうとします。そして、彼女は、道化の手に触れたときに、それが盲目時代に、助けてくれた彼なのだと悟ります。人は見た目ではわからない。目に見えないものこそ、一番大事なもので、立派な背広や車や豪華な暮らしよりも、一体何が人の心を打ち、何が大事なのかを、チャップリンは、彼女に夢中になっている滑稽な顔をしながら、わたしたちに伝えてきます。これが平和の象徴でしょう。この心が、平和なのです。平和の本体なのです、目に見える他の何でもなく。そう語りかけてくるようです。